向こう側の住人
評論家というのは気楽な稼業だ。危険を冒すこともなく、料理人たちの努力の結晶に審判を下すだけでいい。辛口な評論は書くのも読むのも楽しいし、商売になる。だが、評論家には苦々しい真実がつきまとう。たとえ評論家にこき下され三流品と呼ばれたとしても、料理自体の方が評論より意味があるのだー…
これは2007年公開のピクサー映画、『レミーのおいしいレストラン』に登場する料理批評家、アントン・イーゴが映画の最後に書いたレストラン評の一部である。
誰もが批評家になれる時代、「ああでもないこうでもない」と日々あらゆるSNSで意見が飛び交っているのを見ると、結局みんな語りたいんだな~と思い、そのたびにこの台詞を思い出す。
写真投稿がメインのInstagramでも何だかんだ人生論を説いてしまうし、自分も含め結局みんな寂しがり屋で、
「そうだね、君が言ってることは正しいよ。」と自分の考えや気持ちに共感されたいだけなのではないのか。
果たしてそれは悪いことなのか。
語りたくなるのは誰かに伝えたくなるほど魅力的なモノが世の中に溢れているから。
人と討論したくなるのはより正しい答えを求めているから。
映画も本も音楽も、第三者がいなければ市場は成立しない。
伝える人がいなければ何も生む必要がない。
何か素晴らしいものがあって、その感動を共感したい誰かがいる。
それは世界が豊かな証拠なのではないか、そう考えるようになった。
けれど、『レミーのおいしいレストラン』にある通り、間違いなく価値があるのは評価されるそのもの自体だ。
評価は誰にでもできるが、それを生み出せる人はほんの僅かなのだから。
自分はそのほんの僅かな人に入れるのだろうか。
評価する第三者ではなく当事者になれるのか?
つべこべ言うだけの❝こちら側❞から抜け出し、
❝向こう側❞にいって感動を与える人間になれるのか。
これからの人生で確かめなければいけない。
ブログを始めたきっかけは、映画や本や音楽、そして大好きなアイドルの魅力を思う存分語る場所が欲しかったから。
そして文章が書きたいという衝動に駆られたから。
自分の語彙力を駆使して難しそうな話をしようかとも思ったが、読む気が出なそうなので普段の文面にすることにした。
娯楽の話題の他にも、考えてもどうしようもないことも書こうかと思っている。
日々更新していけば少しは文章力があがると信じて続けていきたい。
それではまた💛
引用:映画『レミーのおいしいレストラン』ピクサーアニメーションスタジオ2007.7.28公開